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2021年 武田信玄公開府500年の節目
2021年 山梨県が誇る戦国武将 『武田信玄公』
が誕生して500年の節目を迎えます。
今年は新型コロナウイルスの影響で年に一度開催している
信玄公まつりが中止となり
非常に不完全燃焼な一年となってしまいました。
しかし!来年2021年は
甲斐の虎と謳われた信玄公500年の節目。
県を挙げて盛り上げていく事は間違いない!
そこで、少しでも信玄公の事や山梨(甲斐の国)の事を
知って欲しいし、むしろ遊びに来て楽しんでほしいと思ったので、
信玄公ゆかりの地を巡る旅に出る事にしました♪
甲府駅のすぐそばにある舞鶴城公園
現在の舞鶴城にお城は無く、
外にお堀があってぐるっと城壁が囲ってあり
その中に数十棟の建物があり
一番上に天守と言われる建物があったそうです。
今は天守や建物は無く
跡地的な感じになっていますね。
舞鶴城の主な建物
屋形曲輪(やかたくるわ)とは
城や砦の周囲をほかの土地と区別するために設けられた土塁や石垣のこと。
舞鶴城においては、城壁の内側の土地を『曲輪』と呼んでいたようです。
簡単に言うと、
お城の中にある1つの区画の事をなんですね。
そして屋形とは、
地位や身分のある人が住む屋敷の事を言うそうです。
つまり!この屋形曲輪には
当時の当主が住んでいたお屋敷があった区画という事ですよね。
どうりで他の建物に比べて立派な感じなんですね。
追手口とは
城の正面を大手(追手【おって】)といい、その入口を大手口(追手口)、設けられた門を大手門(追手門)とよぶ。
分かりやすく言うと正面玄関みたいな感じでしょうか。
その追手口に設けられた大手門に兵を配備して
敵や不審者からの侵入を防いだとも言われています。
又は、お城の中にある曲輪に入る為の通用口でもありますよね。
本丸とは
本丸(ほんまる)とは、日本の城の中核となる曲輪(くるわ)の名称である。一の曲輪・本曲輪・一の丸(『日葡辞書』)とも称される。中世城郭では、本城、実城(みじょう)、詰丸などと呼ばれ、城によって呼び名が異なる。日本の中世考古学においては主郭(しゅかく)と呼称される。
引用 Wikipedia
お城の事を詳しく知らない方でも聞いたことのある本丸
その名の通りお城の中心に存在する一区画(曲輪)の事なんですね。
よく言葉の中で『本丸を攻める』という事がありますが、
ここでの“本丸”とは、
物事の中心・最重要拠点の事を指していて、
相手にとって一番ダメージが大きくなる攻撃をするぞ!という意味なんですね。
まさに戦国時代に活きた言葉ですよね!
舞鶴城の城壁とお堀
とても綺麗で重厚感を感じました。
敵の襲撃から守る城壁とお堀。
城壁の石の積み方が本当に凄くて、
約500年も前の時代にこれだけの技術があることに
ただただ感銘をうけました。
城内にあった日本庭園が綺麗
日本各所にある有名な日本庭園と比較すると
正直物足りなさは感じてしまいますが、
この日本庭園で息抜きをしたり風情を楽しんだりしていた武将の姿を想像すると
感慨深いものを感じました。
この日本庭園は各お城につくられており、
息抜きや遊びの場、客人をもてなしたりするために利用していたそうです。
大名や藩主の大きさによって
日本庭園の大きさや見た目の質が大きく変わってくるそうですよ!
まとめ
歴史的建造物には不思議なオーラをまとっているなぁって
舞鶴城を散策してみて感じました。
現在はもちろんですが、
建城当時もその場で生活している人がいたし、
甲府の町を敵の侵略から守る場所でもあったわけですよね。
そして、そのお城が現在の風景にしっかりと溶け込んでいる事も
改めて魅力的だなと感じました。